電験三種 合格体験記 その4
こんにちは、資格とっ太郎です。
「電験三種合格体験者のリアルな体験談」をご購読いただきましてありがとうございます。
少し長いですが、勉強の合間の息抜きにでもお読みいただければと思います。
前回、勉強再開のきっかけと熱血先生の手によって結成されたゆかいな仲間達、補習開始と終了までのお話しをしました。
今回は、試験も間近に迫る中追い込まれる僕の様子と、哀愁漂っていたゆかいな仲間達のその後の話をしたいと思います。
それではよろしくお願いします!
■もう間に合わない!恥を捨てる・・・
5月も半ばにさしかかった頃。
試験まで残り3カ月。。
4月から勉強を再開し、なんとかやっとの思いで一通り終わらせた「理論」。
はっきり言って、試験範囲全体の5分の1くらいしか進んでいません。
残りの「機械」「電力」「法規」については全くのノータッチ。
このままのペースでは間に合わない・・・
この頃の僕の一日の勉強時間は約2時間。
1ヵ月(30日) 2時間で合計60時間。
それで全体の5分の1しか進まないのです。
残り5分の4を終わらせるには、単純計算で最低でも240時間は必要。
試験までの残り日数で割ると、一日 2時間30分以上は勉強しなければならない計算になります。
しかも、過去問を解く時間や復習の時間を入れるととてもそれだけじゃ足りないのです。
少なくとも一日4時間は勉強しないと、とても合格には程遠い事に気付かされます。
その頃の僕は、部活が終わって家に帰って諸々の諸事を終えた後の、おおよそ21時から23時の2時間で勉強をしていました。
というか、2時間以上はとてもじゃないけど集中が続かないのです。
家にいると、一度休憩してしまうとそのまま寝てしまうことがほとんどなので家では2時間以上の勉強はとても無理。
僕に残された道は一つしかありませんでした。
学校の休み時間で勉強するしかなかったのです。
それを計算すれば、授業の間の10分と昼休みの40分で、おおよそ90分を捻出できます。
必要な4時間には少し足りないけど、それでもこの90分は大きいです。
しかし当時の僕は「学校の休み時間に勉強しているなんて、ガリ勉すぎだろ。ダセェ」と本気で思っていたので、学校で勉強するのにはかなりの戸惑いがありました。
それでも「就職有利」「将来の年収」「社会的地位」という第一話でも触れた、貧乏人が飛びつく言葉三種の神器は、その戸惑いをも打ち破るパワーを持っていたのです。
もう恥は捨てました・・・
そう心に決めた僕は、次の日もいつも通り学校へ向かいます。
かばんの中に、夢の欠片(テキスト)を入れて。
そんな僕の心境とは裏腹に、いつもと何も変わらない学校。
授業中でもガヤガヤと騒がしいクラスメイト。
いつも通り、困り果てた顔で授業を進める先生。
そしてとうとう1限目の終わりを告げるチャイムが鳴りました。
そう、このチャイムは電験三種の勉強を開始する合図でもあったのです。
「やっぱり恥ずかしいぜ、おい」
高鳴る鼓動を抑え、額に流れる冷や汗をぬぐいながら、
「え?学校なんだから勉強してるのは普通だべ、なにもおかしくないべ?」
というぎこちない表情を浮かべながら、おもむろにかばんの中からテキストを取り出し、机の上に広げる僕。右手には赤ペンを握りしめて。。
すぐにクラスメイトはその“異様な”光景に気がつきました。
「休み時間に勉強するなんて頭がどうかしている」
クラスメイトはそう言いたげな目線を僕に向け、こう言いました。
「お前、休み時間に勉強するなんて頭がどうかしているぞ」
思ったことをそのまま口に出すのが僕らのクラスメイト。
そこには遠慮や気遣いもなにもありません(笑)
(うるさい!黙れ!休み時間にオレがなにしようと勝手だろ!)
と思う気持ちを抑え、僕は「もう時間がないからヤバい。」と言い残すだけでした。
僕には思ったことを口にする勇気などなかったのです(汗)
恥ずかしくてたまりませんでしたが、そんなこと言ってるバヤイではない。
まさしく背に腹は代えられないのです。
こうして僕の学校生活の休み時間は、全て電験三種の勉強へと費やすことになったのです。
■仲間たちのその後
前回、熱血先生の働きかけで受験をすることになったクマ、ラビ、キメラの3人ですが、熱血先生の補習は終了したものの、彼らも受験する意思は変わらなかったようです。
そもそも受験料も支払っているのに、受けないなんてもったいない、という気持ちが大きかったでしょうが・・・
彼らも彼らなりに、一応は勉強を進めていました。
科目合格や一発合格、それぞれ目標は違ったみたいですが。
ちなみにこの3人のあだ名の由来ですが、クマは文字通り熊のような体系、ラビはラビットのラビなのですがなぜそう呼ばれていたのか、実は僕にもわかりません。
キメラは典型的なイジられキャラで、よく「お前きもい」とクラスメイトからおちょくられていました。それが転じてドラ○エのモンスターの名前キメラになったのです。
まあイジられキャラといえば、僕ら4人は基本的にみんなイジられキャラなんですけどね(笑)
そんなゆかいな森の仲間達なのでした。。。
■5月には部活も引退
高校のバドミントン部は当時(今も?)5月の末頃に、3年生にとっては最後の公式試合がスタートします。
弱小チームだった僕らの部が、順当に勝ち進めるはずもなくあっけなく一回戦敗退。
「オレたちの3年間もこれで終わりか・・・」
みたいな雰囲気になることもなく、あっさりと引退していくのでした。
(基本的にバドミントンって個人競技だから、なんかみんなあっさりしてるんですよね〜。でもそんなバドが僕は大好き・笑)
そして引退してからはひたすら猛勉強!
毎日部活に費やしていた約2時間を、そのままごっそり電験三種の勉強時間にあてることができるようになったのです。
後輩たちの来てくれアピールがすごかったので、たまには後輩たちのために部活に顔を出しながら。。
この頃には、バドミントン部だけでなく他の運動部の人たちも続々と引退を迎えていきます。
引退した人たちのほとんどは、毎日部活していた時間を遊びに過ごすか、遊ぶ金稼ぐバイトに過ごすかのどちらかでした。
基本的に工業高校の生徒は、卒業後に就職するのが95%くらいなので、「受験勉強」という概念がほとんど存在しません。
一部、公務員や就職試験のための受験勉強をする人はいますが、大学のための受験勉強とはまたかなり性質が異なります。
なので、ほとんどの人は部活を引退したら“遊びまくります”。
文字通り、原付かっ飛ばして遊び呆けるという感じです。
せっかくできた自由な時間を、わざわざ勉強にあてるような変人は、少なくとも学校では僕だけだったのです。
「今日あそこ行こうぜ?」的な遊びの誘いは土日以外ほとんど断ったと思います。
なんという付き合いの悪いやつなんだ、と思われていたことでしょう。
しかしそんなこと言ってるバヤイではない。
学校で勉強を始めてからというもの、僕が必死で頑張っていることは、すでにクラス中では周知の事実となっていたのです。
「ここまで頑張っておきながら落ちたら、まじでダセェ」
というプレッシャーがひしひしと僕の中で湧いてきていたのです。
頑張っている姿を見られるという恥ずかしさを乗り越えた先に待っていたのは、頑張ったのに結果が伴わなかった時の恥ずかしさでした。
そんな気持ちが、その時の僕のやる気を後押ししてくれていたのです。
そして時間は刻一刻と過ぎてゆき、いよいよ試験一か月前の7月。
そう、僕らの最後の夏休みに突入していきます。
その話はまた次回・・・つづく
次回は、
第五話 ついに訪れた夏休み!
・熱血先生・・・ふたたび
・二泊三日。友人たちと旅行、のあいだも勉強勉強・・・
で、お送りしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!
次回もよろしくお願いします!
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